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どうもこんばんは。
一昨日の夜まで、オーストラリアにいました。 昨日の夕方に家に着き、今朝ハイテンションで出勤したら、部内は緊急案件で切迫していたので、急いで浮かれポンチオーラを消しました。 来月は、サッカーファンにとって4年に1度のお楽しみ、W杯が開幕するというのに、表ブログが墓場状態なのが心苦しいです。 とはいいつつ、オーストラリアから帰ったばかりなので、またこちらの旅日記ばかりが続いてしまいそうです。 いつも覗いてくださる皆様、ありがとうございます。もしもよろしければ、オーストラリア編もお付き合いくださいませ。 私はサッカーファンということもあり、海外に行くと訪れた国のサッカー事情について調査(?)するのが楽しみの1つなのですが、直近で訪れたチェコ、オーストラリアに関しては、あまり調査できませんでした。 チェコでは、チェコの国内リーグのクラブである、スパルタプラハのクラブハウスへ行ってみるつもりだったのですが、スパルタプラハのクラブハウスは、プラハの中心から少し離れたところにあり、そこまで行く時間が取れなかったために断念しました。 街角には、少ないながらもサッカーのユニフォームを売っているお店がありました。ユニフォームのほとんどはチェコ代表のもので、背番号はロシツキのものが一番多く見かけました。 チェコの人々は、その歴史の中で幾度となく他民族に支配され、自国の文化をないがしろにされてきたことから、言語(チェコ語)を含めたチェコ人としてのアイデンティティを強く持っているのだそうです。チェコにたくさんの絵本やマリオネット劇場があるのも、絵本やマリオネットの上演を通じて子供たちにチェコ語を伝え、チェコ語を絶やさないようにするためだったのだそうです。 そのような話を聞いてから、チェコ代表のサッカーを思い浮かべると、まるで他民族による侵略から自国を守ろうとするかのような、誇り高き戦う集団であるように見えてきます。 チェコ代表は、残念ながら今年のW杯には出場できませんが、2年後のEURO、4年後のW杯で、その民族の誇りを感じるサッカーを見せてくれることを期待したいです。 チェコ代表とは反対に、オーストラリア代表は今年のW杯への出場を決めていますが、オーストラリア国民の関心は低そうです。バーやパブのモニターで緑の芝生が映っていると、それは必ず、サッカーではなくラグビーの試合。スポーツニュースのインタービューに答えているのも、サッカー選手ではなくラグビー選手。オーストラリアにはサッカーの国内リーグがあるにもかかわらず、試合結果すら放送されないという、サッカーに対しては、W杯出場国とは思えないくらいの冷遇っぷりです。ちなみに、スポーツ用品店らしきところでも、サッカーのユニフォームを見かけることはありませんでした。 オーストラリアでは、調査する時間はあったのですが、サッカーがあまりにマイナースポーツだったため、ネタが見つからなかったのです。 もともと、イギリスをルーツにもつ上、さまざまな国からの移民を受け入れてきた多民族国家であるオーストラリアなら、サッカーの潜在能力は高いはず!?もっと国民のバックアップがあれば、W杯で上位を狙えるのではと思いますよ。 ちなみにオーストラリアには、先述のチェコからの移民も多いそうです。 イギリス人の身体能力にチェコ人の奥ゆかしい繊細さが加われば、かなり面白いサッカーが見られそうだと思うのですが、オーストラリアの民族のミクスチャーがそこまで進むには、あと何年かかるのでしょうね。 街の公園を散歩していたときに、プレーしている人は居ないものの、サッカーコートとゴールはみかけたので、そのコートでサッカーをする子供たちの姿が増えれば、オーストラリアサッカーの進化のスピードは早まりそうです。 チェコもオーストラリアも、サッカーにおける世界の舞台では決して注目度が高いとはいえないかもしれませんが、それぞれの国の歴史や文化に照らしてサッカーを見てみると、メジャーなサッカー大国にも引けをとらないほど、興味深くなるかもしれませんね。
最終日は雨音で目が覚めた。この日泊まったホテルは、天井に窓がついていたため、ベッドから雨が窓を打ち付けているのが見えた。プラハが私との別れをおしんでいるのだろうかと、至極勝手な妄想をしながら朝食を済ませた。このホテルは、街中にあるせいか、私以外はビジネスマンらしき人ばかりだった。
![]() 時計をみると8時だった。飛行機がでるのが13時35分、空港には11時30分までにつかなくてはならないので、プラハの街にいられるのもあと2時間半弱となった。 昨日に引き続き、スーパーでお土産を買い、ホテルの部屋で荷造りをした。その後、ホテルのフロントで空港へ行くバスについて尋ねたところ、ここではタクシーについてしか案内できない、とつれない返事が返ってきた。仕方ないので、ホテルから歩いて5分ほどの空港バス乗り場まで行き、確認することにした。 バス乗り場に行くと、ちょうど日本人らしき老婦人とその息子さんらしき男性がいた。 すいません、日本の方ですか? 3日ぶりに日本語を話した。 はい、そうですよ。 ちょっとお尋ねしたいんですけど、空港バスって、予約が必要なんですかね? 要らないと思いますよ。私たちも予約してないですし。 そうなんですね~ありがとうございます。 プラハの街並みがよく似合う、素敵な親子だった。洗練された装いと、柔らかな物腰に、話していてほっとした。 私はそのまま、歩いて旧市街広場に向かった。最後に旧市街広場の横に広がる、ユダヤ人地区に行くためだ。 このユダヤ人地区は、昔はユダヤ人を囲い込むためのゲットーとなっていた場所で、ゲットーが廃止されるまでは、荒廃した不衛生な街だったそうだ。ユダヤ人地区を訪れたかったのは、なんとなく、このプラハの街の陽の部分ばかりでなく、陰の部分も見ておいた方が良いのではないかと思ったからだ。 私が旧市街広場に着くと、雨が止んだ。 ユダヤ人地区に行く前に、もう一度プラハ城を見ておきたいと思い、カレル橋へ向かった。まだ観光客は一人もいないので、初日よりもよく見えた。 ![]() 左に映る十字架は、この十字架の向かいにあった処刑場で刑死した人の霊を慰めるために建てられたそうだ。 プラハ城を見納め、地図を見ながらユダヤ人街に向かう。 ユダヤ人街に足を踏み入れると、なんとなく街全体が重苦しくみえた。石畳や建物に、ここで生活していた人々の苦悩が刻まれているように感じた。 ![]() マイゼルシナゴーグ これは、シナゴーグという、ユダヤ教の礼拝堂だ。 ユニークな形とは裏腹に、なんとなく悲壮感が漂う。 ![]() 旧新シナゴーグ 朝で人がいないせいか、入ってはいけない場所に入ってしまったようなばつの悪さを感じた。 それでも目的は達成できたので、ホテルに戻ることにした。 ホテルに戻る途中にある、興味のあるものを直感で写真に収める。 ![]() ![]() ![]() これらは、それぞれその家の家業や紋章をあらわしているらしい。 金の蛇の紋章のある建物は、プラハで最古のカフェとされる建物である。 金の魚は、プラハの名産であるマスのように見えるので、川魚屋であったのだろうか。 ホテルに戻り、チェックアウトを済ませ、空港バス乗り場へ向かった。 運転手さんからチケットを買い、荷物を詰めてバスに乗り込む。 私のほかには、ロシア人らしき1組の夫婦だけだった。 二人とも推定180cm以上と長身で、体格が良かった。ダークグレーのコートを羽織り、夫婦そろってタバコをふかす様は、まるでKGB(旧ソ連情報機関)のようだった。 飛行機に乗れば、すぐにランチが出てくるので、空港では最後のチェコビールを飲んだ。 市内と違い、約8倍ほどの値段を取られたが、私は満足だった。 ![]() ![]() ![]() さよなら、プラハ。 チェコの旅日記は、これで最後になります。 長い旅日記にお付き合いいただいたみなさま、本当にありがとうございました。
今日はいよいよプラハに戻る。旅行も明日で最終日だ。
出発の時間までまだ余裕があるので、街に出た。最後にこの街の景色を目に焼き付けておくためだ。一昨日から何度も同じ場所を巡っているだけなのだが、何度歩いても飽きない魅力がある。この日はチェコの独立記念日で、祝日だった。祝日に、国旗を掲げるのは、どこの国でも同じらしい。 ![]() またお城に行き、昨日人がたくさんいて近づけなかった絶景スポットに行った。今日は誰もいなかったので、ゆっくり見ることができた。 ![]() 今日は天気がいいので、写真もきれいに撮れる。 ![]() ![]() ![]() 街中を隈無く歩いていると、街の入り口近くに『絶景スポット』と書かれた公園を見つけた。 入ってみると…。 ![]() なるほど。絶景だ。 最後に絶景が堪能できて良かった。 ホテルに戻ってチェックアウトを済ませ、荷物を持って、最後に行きたかったレストランに向かう。 レストランの入り口らしき階段を下り、中をのぞいたが、誰もいない。 祝日だから休みなのかなぁ。 諦めようかと思ったが、最後にどうしてもこのお店に行きたかったので、併設されているホテルのフロントに聞いてみることにした。 私が大きな荷物を持っていたので、宿泊するのか尋ねられた。私は下の階のレストランに行きたいので開いているかと聞いてみた。レストランは開いているわよと、フロントおばさんは笑顔で答えてくれた。さらに、階段を降りるのが大変だろうから、荷物も預かるわよと、言ってくれた。私は満面の笑みでお礼を言い、階段を降りてレストランに入った。 このレストランはヴルタヴァ川の川岸にあり、川岸を望むテラス席もあった。建物も川岸に沿って段々畑のようになっていて、とてもかわいらしい。段々になった窓には、洗濯物が干してあった。 川岸のテラス席も捨てがたかったが、少し寒かったので、中に入った。 すいませーん!(もちろん英語。)と声をかけると、中からウエイトレスのお姉さんが出てきた。 メニューを渡され、いつものようにビールと、チェコの定番料理であるフランボラーク(ポテトパンケーキ)を頼む。本当はもう一品頼みたいところだったが、今朝もホテルの朝食を食べ過ぎたため 、軽めにしておいた。 ![]() ![]() 少し毒を感じる絶妙なインテリア。 武器とカラスの剥製って、普通に考えると不気味なんだけど、ここではこの空間にフィットしていてかっこいい。 ![]() フランボラークは、ジャガイモのチヂミのようなもので、塩コショウだけのシンプルな味にビールが進む。 チェスキークルムロフでの最後の食事を終え、お店の人とフロントの人にお礼を言って、バスターミナルへ向かった。 無事にバスに乗り込み、プラハへ向かう。着いたら荷物をおいて、お土産を買いに行かなくてはなぁと、あれやこれや考えているうちに、プラハに着いてしまった。どこに行くのもそうだが、行きはなかなか着かないと感じるが、帰りは早い。 地下鉄を乗り継いで、泊まるホテルの最寄り駅に着いた。地下鉄とトラムを乗りこなせるようになり、すっかりプラハっ子を気取っていた。今日は独立記念日だから、共和国広場でイベントをやっていないかな、花火とか上がっちゃったりして、と今夜の予定に思いを巡らせながら、駅の入り口で地図を広げていると、おじいさんに声をかけられた。 君はどこへ行きたいんだい?案内してあげるよ。 知らない人に声をかけられても、ついて行ってはいけないというのは、海外に限らず日本にいても鉄則だと思うが、おじいさんの勢いに押されてホテルまで案内してもらうことにした。 私の降りた共和国広場駅は、すぐ近くにプラハマサリク駅という鉄道の駅がある。 この駅の中を通ると近道だよ、とおじいさんは駅の扉を押して中に入れてくれた。この駅は、国内線の駅なんじゃよ(和訳するとこんな感じ?)と説明しながら駅の中を横切った。先日ドイツのドレスデンに行ったときに使ったホレショヴィツェ駅よりも大きくて趣があった。ずらりと並ぶ線路、止まっている列車の周りで行きかう人々。昔映画で見たような、ヨーロッパの鉄道駅の風景そのものだった。もう少し時間に余裕があれば、チェコ国内を鉄道で巡るのもよかったなぁと思った。 ホテルの看板が見えてきたので、おじいさんに、 ここまでくればもう大丈夫、ありがとう。 とお礼というと、おじいさんは、 そうかい、じゃあ、良い旅を! と、笑顔で手を振りながら反対方向へ歩いていった。 おじいさんに送ってもらったおかげで、思いのほか早くホテルに着いた。ここから明日の午前中までは、時間との勝負。お土産を買い集め、見逃した場所を見に行かなくては。 部屋に荷物を置き、チェスキークルムロフに行く前に行ったお土産屋さんに、買ったものを受け取りに行く。その後、その他のお土産を買いに、お土産屋さんをはしごした。 同じものでも、お店によって値段が違うので、ちゃんとチェックする。マトリョーシカといえばロシアだが、なぜかプラハにもマトリョーシカはたくさん売っている。 ![]() ロシアのマトリョーシカ ![]() プラハのマトリョーシカ 値段もいろいろで、絵柄やつくりが雑なものは安いし、大きいものや絵柄が繊細なものは日本円で1つ1万円以上するものもあった。私は、日本円で1500円ほどの小さなものを2つ買った。2つともお土産用だ。 そのほかにもマグネットや天然素材で出来た石鹸、スーパーでお菓子や食材なども買った。一通り買い物を済ませ、共和国広場へとやってきた。辺りはすっかり真っ暗だ。独立記念日のイベントでもやっているのかと期待していたが、残念ながら何もやってなかった。広場やメインストリートでは、相変わらずテンションの高いドイツ語が飛び交う。観光客の中で一番元気なのは、どこへ行ってもドイツ人だ。 そろそろお腹も空いたし、ご飯を食べようとお店をのぞくが、祝日のせいか、なかなか開いているお店がない。開いているのはファーストフードやイタリアンばかりで、ポスホダやチェコ料理おお店は見つからなかった。 プラハで過ごす最後の夜なのに、チェコ料理が食べられないなんて…とがっくりしたが、ようやくチェコ料理らしきレストランを見つけた。しかしながら、値段が少々高いことや、お店の名前が「マリア・テレジア」(チェコなのにオーストリアの女王の名前って!?)だったことから、全く期待せずに入った。 入口のクロークでコートを預ける。クロークがあるほど高級なお店なんて。ジーンズにスニーカーで来るなんて場違いだったかなぁと気が引けてきた。 席に座ると、ウエイターさんが、あなたは中国人ですか?とたずねてきた。私は日本人よ、というと、日本語のメニューを持ってきてくれた。 ああ、やっぱりはずれかなぁ。 私の経験上、日本語のメニューがおいてあるお店がおいしかったためしがない。日本語のメニューがあるということは、それだけ日本人観光客がたくさんくることを意味し、観光客を表面的に満足させるだけの、高くてまずい料理を出すことが多いからだ。 とりあえず、この旅でまだ食べていないチェコ料理である蒸し豚と、いつものようにビールを頼んだ。作り笑顔でオーダーした後、テンションは急降下した。 ![]() ビールはもちろん美味しい。さて、蒸し豚はどうだろう、と一口食べてみると…。 これがうまい! バターとたまねぎのやさしい味がする。毎日食べ過ぎて疲れた胃にちょうど良かった。もちろん、ビールとの相性もいい。付け合せにキャベツの酢漬けがついていた。 ビールがなくなったので、さらにモラヴィアワインも追加した。 料理1品とビール1杯、ワイン1杯でサービス料10%込みで3000円ほどだった。 レストランからホテルまで15分ほど歩いて帰った。途中コンビニのようなお店に立ち寄り、またビールを買った。プラハにいるうちに、このおいしいビールをできるだけ飲んでおこうと思ったのだ。 ドイツ語のバラエティ番組をつけながら、明日の計画を練る。ドイツ語なのでもちろんわからないが、芸人らしき人たちが体をはって笑いをとっていたので、画面を見てるだけで楽しめた。 明日は11時前にはホテルをでなくてはならない。 それまでに、どこを見に行けるかなぁと考えながら眠りについた。
チェスキークルムロフ城を出て、地ビール工場のビアホールに向かいながら街を散策した。
チェコには各都市に地ビールがあり、チェスキークルムロフには、エッゲンベルクという地ビールがある。エッゲンベルクとは、昔チェスキークルムロフを治めていた一族の名前だ。 ちなみに、プラハの地ビールはスタプロラメンという。 チェスキークルムロフの近所には、チェスキーブディヨヴィッツェという、ビール好きのメッカがある。ここの地ビールであるブドワイザーブドバルは、あのアメリカのバドワイザーが、ここのビールの美味しさにあやかって、同じ名前を付けたほどの逸品である。無断で名前を使ってしまったため、後にアメリカのバドワイザーは、このブドバルから訴訟を提起されたそうだ。日本のデパートの酒屋さんでよく売られているのも、このブドバルと、同じくチェスキーブディヨヴィッツェの地ビールであるピルスナーウルケルである。 しかし、私が一番気に入ったビールは、カンブリヌスというこれまたチェスキーブディヨヴィッツェの地ビールだった。もちろん、出来たてのエッゲンベルクを除いてだが。 日本でラッパのマークといえば正露丸だが(?)、チェコではラッパのマークは郵便局だ。 ![]() 郵便局 ![]() 街の北側の門であるブディヨヴィッツェ門 ![]() ![]() ![]() あら。行き止まり。 毎度のことながら、蛇行する不規則な道に迷いながら、ビアホールにたどり着いた。 ビアホールに入ると、お客さんは一組しか居なかった。 テレビでは、プレミアリーグの試合の再放送がやっていた。 席に着き、とりあえずピルスナービールと牛肉のグラーシュ(煮込み)を頼む。 これも、チェコでは定番の料理だ。 出来立てのビールは本当に美味しくて、余りの美味しさに一気に半分を飲み干してしまった。 ビール工場のビールは、こんなにも違うものかと感心した。なんというか、灰汁のような雑味がまったくないのだ。このあとダークビールも頼んだのは言うまでもない。 ![]() グラーシュは1人で食べるのにはかなりのボリュームだったが、肉がほろほろと崩れるほどやわらかく、たまねぎの甘みがやさしい上品な味だったので、完食してしまった。ブイヨンを凝縮したような味とでも言おうか。丸いものはフライドポテト、その隣のパンのようなものは、クネドリーキという味のない蒸しパンだ。クネドリーキはチェコのソウルフードらしいが、ガイドブックなどで見たときは、味のない蒸しパンがそんなに美味しいものなのか、と甚だ疑問だった。しかし、このグラーシュの付け合せとして食べたときに、ソウルフードと言われている理由が分かったような気がした。 この味のない蒸しパンは、グラーシュのスープを最後まで味わうのに最適なのだ。まるでスポンジのようなこのクネドリーキは、スープをよく吸い込む上、スープの味を邪魔しない。 チェコは真冬になると気温が氷点下になるため、おそらくこのようなスープ料理で体を温めるのではないかと思うが、スープを美味しく食べるためにはクネドリーキがうってつけなのだ。クネドリーキは、寒さ厳しいチェコの冬の食卓には欠かせないものなのだろう。 朝食に引き続き、またもや胃が苦しくなった。しかも、今回のグラーシュはかなり重く、相当体を動かさないと胃から出て行ってくれなさそうだった。 ビアホールを出て、明日プラハへ戻るためのバスのチケットを買いに、バス乗り場へ行った。 窓口のおばさんに尋ねると、チケットは街のインフォメーションで買うように言われた。 ![]() とりあえず、時刻表だけ携帯で撮影しておいた。 インフォメーションは、ホテルの近くにあるので、ホテルに向かって引き返した。 インフォメーションの窓口で、11時発のチケットを買おうとしたら、あいにく満席だった。 仕方ないので、その次の12時45分発のチケットを買った。 しかも、到着するターミナルが、来るときに乗ったフローレンスではなく、ロズティリィという、フローレンスまで地下鉄で15分ほどかかるターミナルだった。せっかくフローレンスの近くのホテルを取ったのに意味なかったなぁとがっくりしたが、仕方ない。 財布からクレジットカードを取り出すと、窓口のお姉さんから「素敵な財布ね。」と言われた。普段使っている財布は紫のクロコダイルスキンなのだが、外貨用の財布は、以前普段使いにしていたツモリチサトの緑のライオン柄のものにしている。ライオンのたてがみがファーになっているかなりのお気に入りなのだが、日本ではあまりこの魅力が分かってもらえなかったのでうれしかった。 私はお礼を言って、チケットとクレジットカードを受け取り、インフォメーションを後にした。 日が高いうちにお土産を買おうと、お土産屋さんを覗いた。自然素材で出来た石鹸やハンドクラフトのおもちゃ、手書きのマグネットなど、素朴でかわいらしいものがたくさんある。これらは、プラハでも買えるので、ここで買ったほうがよさそうなものだけを買った。 ハンドクラフトの木で出来た犬のおもちゃは、最近子供が生まれた友達に。犬の顔が、プラハで売っているものよりも可愛かったのだ。 何気なく、アクセサリー屋さんを覗いてみた。私は金属アレルギーがあるので、ほとんどアクセサリーをつけないのだが、たまには母に買っていってあげようと思ったのだ。チェコはガーネットがたくさん取れるそうで、売っているものの9割はガーネットのアクセサリーだった。 何軒か覗き、値段とデザインが気に入るものを見つけた。どこへ行ってもそうだと思うが、デザインが良いと思うものは決まって高い。ダメもとで値下げ交渉をしたら、2000円ほど安くなった。もっと安くならないか、ともう一押ししたら、現金で払うならもっと安くするといわれた。しかし、私は、全額を支払えるほど手持ちの現金をもち合わせてなかった。換金するよりもカード払いのほうがレートが良いため、海外にいるときはあまり現金を持ち歩かないのだ。 まぁ、2000円下がったからいいかと思い、粒の大きいガーネットのネックレスを買った。 後で調べたら、日本で同じ粒のものを買うと3倍くらいはするそうなので、かなりお買い得だった。 お店を後にして、荷物を置きにホテルに戻った。このとき確か17時くらいだったと思うが、その後知らぬ間にベッドで眠ってしまったようで、気がついたら時計は22時を指していた。 チェスキークルムロフで過ごす最後の夜なので、せっかくだから街に出てみた。 ![]() 夜の広場も素敵だ。 昼に食べたグラーシュがまだ胃の中に残っていたので、ホテルの裏手にあるバーに行った。 中に入ると、席の半分くらいが埋まっていて、そのほとんどがドイツ人らしかった。 席に座り、とりあえずビールを頼む。 チェコに居ても、条件反射的に最初にビールを頼んでしまう自分がちょっと悲しい。 お店のフロアは、金髪のかわいいお姉さんが1人で切り盛りしていた。このお姉さんがいろいろと話しかけてくれたので、1人で飲んでいてもさびしくなかった。 ビールがなくなったので、今度はスパークリングワインを頼んだ。 スパークリングワインを頼んだ直後に、10人くらいのドイツ人のグループが入ってきた。 たちまちお店は満席になり、お姉さんは団体客の対応で忙殺されていた。 ごめんなさい、あなたの飲み物がまだよね?と言われたが、私は大丈夫だからあっちのお客さんを優先して、と言った。 ドイツ人は豪快でお酒に強い。手をたたいて談笑しながら、水のようにビールを飲み干す。 お姉さんがあまりにも忙しなくカウンターと団体客の間を往復してたので、私もお手伝いしようかと思うほどだった。 ![]() 明日はプラハへ戻る。名残惜しいなぁ。 時計を見ると、12時を回っていた。知らぬ間に日付が変わっていた。 おっと、油断してしまった。 いくら慣れてきたからといって、1人で夜中に出歩いてはだめだよなぁ。 私はお金を払い、お姉さんにお礼を言ってホテルに戻った。
今日も早起きをして、チェスキークルムロフ城の城内ツアーに参加する。
ホテルの朝食があまりに美味しくて食べ過ぎてしまい、胃もたれがした・・。にしんの酢漬けでザワークラウトを巻いたものやたくさんのハム、チーズを食べていると、朝からワインが欲しくなる。 ![]() 朝食が済んだところで、お城へ出かけた。ホテルからお城までは、歩いて5分ほどで行ける。途中の道には、カフェやお土産もの屋さんはもちろん、石鹸やハンドメイドのおもちゃを売る雑貨屋さんやドラッグストア、小さなスーパーなどがある。 ![]() お城の入口 赤い門 ![]() 入口を入ると、塔が見える。 ![]() 城の庭 10時のツアーのチケットを買い、しばし周辺を散策をする。 ![]() お城のお堀で飼われているクマさん。 ![]() ![]() 眺めのいいスポットは、たいがい他の人に占領されていて、なかなか近づけない。それでも写真を撮ったり、景色を見たり、いろいろ楽しめた。 ![]() 城の中庭。ここがガイドツアーの集合場所だった。壁のレンガのように見えるものは、全て手書きの絵で、ルネサンス時代のだまし絵なのだそうだ。ちなみに、何度も登場している城の塔の壁もだまし絵である。 10時にガイドツアーが始まり、10人ほどで城の中を巡る。ガイドは英語だったので不安だったが、意外と理解できて楽しめた。城の中は撮影禁止だったので写真は取れなかった。黄金の馬車や、壁にだまし絵の描かれた仮面舞踏会のダンスホールなど、貴重な文化財を見る事ができた。 1時間ほどでツアーは終わり、今度は城の塔に登ることにした。 ![]() ![]() 塔の入り口 ![]() 塔の窓 長い階段を上った先には、こんな景色が待っていてくれた。 ![]() ![]() なんて美しいのだろう…。 私は、この景色を忘れないだろう。 城の塔には私1人。この景色を独り占めしていた。 城の塔からの景色を見た興奮冷めやらぬ中、今度は城の地下室へ。 ここは昔ヴァーツラフ4世というチェコの王様の牢獄として使われていたことから、「ヴァーツラフの地下室」と呼ばれている。 ![]() 入口は地下室っぽいが。 中は、ハンガリーなどの東欧諸国の芸術家の現代アートのギャラリーになっていた。 ![]() ![]() ![]() くつろげない晩餐会? ![]() 痛そうな魔法のランプ? 地下室と現代アートが織り成す、不思議な空間であったが、居心地は良かった。 かつて閉じ込められていたヴァーツラフ4世も、こんな不思議なモノたちに囲まれていたら、たぶん自らの境遇を嘆いたり、退屈することはなかっただろうなぁと思った。 しばらく胃の中を占領していた朝ごはんが、消化されて胃に余裕が出来てきたので、城を出てランチをすることにした。 つづく
今日はプラハからバスでチェスキークルムロフという小さな街に向かう。チェスキークルムロフは、プラハよりも南の、オーストリアの国境近くにある。中世の街並みを残したおとぎ話に出てくるようなところで、街全体が世界遺産に登録されている。チェコではメジャーな観光地だ。プラハからはバスで片道3時間と、比較的行きやすく、1時間もあれば、街を一周できてしまうほど小さいので、日帰りで訪れる人も多いそうだが、私はあえてゆっくり2泊滞在することにした。ガイドブックやネットの写真を見ただけで、なんとなく全てが自分にフィットしそうな街だと思ったからだ。
ホテルのチェックアウトの前に、チェスキークルムロフ行きのバスのチケットを手に入れるのと、お土産物屋さんを少し覗くために街へ出た。 まずフローレンツというところにあるバスターミナルへ向かい、バスのチケットを買った。片道170コルナ(約1020円)くらいだっただろうか。とにかく格安である。 本当は午前中に乗りたかったのだが、あいにく予約席は満席らしい。予約席を買わずに乗るときにチケットを買う事もできるが、それだと席に座れない恐れがあるため、13時のチケットを買った。 無事にチケットを買い、今度はムステークへ向かう。ムステークは一昨日観光した共和国広場周辺の南側にある。共和国広場周辺を旧市街というのに対し、ムステークの周辺は新市街と呼ばれている。新市街は、プラハで一番の繁華街で、プラハに住む人が買い物をしたり、食事を楽しんだりする地域のようである。ここには、H&Mなど日本でもおなじみのお店が並んでいた。 ![]() わかんないけど教会? ガイドブックに載っているビーズのアクセサリーのお店を覗いたが、あまり気に入るものがなかったので、何も買わずに出てきた。何気なく、その隣にあったお土産物屋さんをのぞくと、お店のおじさんが話しかけてきた。 ボヘミアングラスを見ていると、どこの国でもあるように、たくさん買えばたくさん値引きするよと、営業攻勢に遭った。そのボヘミアングラスは、専門店の三分の一の値段ながら、デザインと色が好みだった。確かに、専門店に比べれば、安っぽさは否めないが、値段を考えれば妥当だろう。 自分用とお土産用に、合計8個も買ってしまった。これで、1000コルナ(約6000円)だった。 更にセールストークに乗せられ、もともと買う予定だったプラハキーホルダーも買ってしまった。1つ90コルナだったので、6つで540コルナ(約3240円)になった。 これからチェスキークルムロフに行き、2日後にプラハに戻るので、それまで買ったお土産を預かってもらえないか頼んだところ、快く引き受けてくれた。 私はお店を後にし、ホテルに戻った。 部屋からスーツケースを出し、フロントに来たのがチェックアウトギリギリの11時。私はフロントのお兄さんにお礼を言い、ホテルを後にした。 地下鉄で、フローレンツまで行く。さっき切符を買ったところなので、迷うことなくバスターミナルに行けた。手荷物預かり所に荷物を預け、バスが出発するまでの1時間ほどを売店で過ごした。ランチ代わりに、ビールとソーセージを頼む。連日連夜晩酌のお供だった魚の酢漬けとチーズを、ソーセージについてきたパンに挟み、それも一緒にたべた。 ソーセージは、昨日食べたドイツのものよりもスパイシーだったが、ドイツのとはまた違った美味しさがあった。酢漬けのサンドイッチは、日本では食べられない贅沢な味だった。 安上がりながらも豊かなランチを済ませ、コーヒーを飲みながら残りの待ち時間を過ごした。ターミナルはそれほど混雑はしておらず、いろいろな国の人が行き交っていた。相変わらず東洋人を見かけることはなかった。 時間になり、スーツケースを持ってバス乗り場に向かった。 バスは、車内に持ち込めない大きな荷物は有料で、20コルナ(約120円)ほどかかる。荷物は自分でバスの下の方にある格納庫に入れなければならない。 スーツケースを格納庫に入れ、バスに乗り込んだ。運転手さんに荷物代を払い、荷物の引換券らしきプラスチックの丸い札を渡された。 運転席の窓には、娘さんらしき小学生くらいの女の子の写真と、セクシーな裸のお姉さんの切り抜きが貼ってあった。私にとっては楽しい旅路でも、運転手さんにとってプラハとチェスキークルムロフを往復することは、仕事に過ぎないもんなぁ。疲れた時は娘さんとお姉さんの写真でテンションを上げているのかなぁと、思った。 ちなみに、帰りのバスの運転手さんは若いお兄さんで、窓にはワニのぬいぐるみとカナダの国旗がついていた。もしかしたらカナダからチェコにやってきたのかぁとか、彼はジダンのように移民の2世で、ルーツがカナダなのかなぁとか、いろいろな想像をした。 一人旅は話し相手が居ないので、脳内の妄想が膨らみやすくなる。 バスは10人ほどの乗客を乗せて出発した。このバスは25人乗りなので、定員の半分にも達していない。ほとんどが私のような一人旅のお客さんだった。 ヴルタヴァ川(別名モルダウ川)を渡り、一路チェスキークルムロフへ。 ![]() 河岸の建物もカラフルできれいだ。 ![]() プラハの町を出ると、一本道両側に森や畑が広がっていた。地平線が見えそうなこの景色は、北海道に似ていると感じた。 ![]() ![]() 3時間と少しして、チェスキークルムロフのバスターミナルに着いた。 スーツケースを引きずりながら、街へ向かう坂を上りきると、こんな景色が私を迎えてくれた。 ![]() チェスキークルムロフ城だ。 写真で見るよりも、ずっと美しかった。 チェスキークルムロフは、蛇行したヴルタヴァ川にぐるりと囲まれている。それはまるで、城を守るお堀のようだった。蛇行した川に沿うように幹線道路が通っていた。 幹線道路の横断歩道を渡り、街の入口まできた。横断歩道が、まるで現世からおとぎの国へとつながる道のように思えた。それほど、街の中と外では景観が違っていた。 日本人のカップルがいたので、私は思い切ってここが入口で正しいかを尋ねてみた。ここでも、大きな荷物を持ってさまよいたくなかったからだ。ここが正しい入口であることを確認したのと、久々に出会った同郷人に安堵した。私はお礼を言って、街の中心であるスヴォルノスティ広場を目指した。 私の泊まるホテルは、その広場の目の前にあるのだ。 入口からあるいて10分もかからずにホテルに到着した。ホテルは趣のあるかわいらしい建物のホテルだった。昔のお屋敷を改造したものなのだろうか、中は迷路のような構造で、はじめのうちは何度も迷いそうになったほどだった。 ![]() 泊まったホテル(一番左の白い建物) ホテルに荷物を置き、一息ついてから夕食を食べに行くがてら、街を散策した。 ![]() チェスキークルムロフ城の城の塔 ![]() 城の裏側 夜のお城は神秘的で美しかった。 ![]() 夜の街並みも、雰囲気がある。 チェコ滞在4日目にして、初めてホスポダ(居酒屋)へ行った。ホスポダは、普通の人が普段食べているメニューが豊富なため、チェコの食文化を知るには最も適した場所だ。チェコに来たからには外せない。 中に入ると、老夫婦と6人ほどの男女のグループが居た。 私は席に座ると、ビールとウトペネッツ(酢漬けのソーセージ)、マスのフライを注文した。 ![]() ウトペネッツ ウトペネッツとは、チェコ語で「水死体」という意味なのだそうだ。おぞましい名前とは裏腹に、味は格別で、ビールとよく合う。 ![]() マスのフライ マスのフライもバターの香りが豊かで、お腹がいっぱいでも食べてしまう。日本のマスと違い、肉厚で食べ応えがある。1杯目のビールがなくなったので、今度はダークビールを追加する。 もちろん、2杯とも500mlである。 しかし、大食いの私でもさすがに間食は出来ず、不本意ながらマスのフライの付けあわせを少し残しリタイアした。ビール2杯と料理2品で177コルナ(約1062円)だった。 お店の人にお詫びとお礼をいい、ホテルに戻った。 テレビをつけると、「Sex and the city」がやっていた。 キャリーもシャーロットもチェコ語を話している。セリフは分からないが、見たことのある回だったので、ストーリーは分かった。 まさかこんなところでこのドラマを見るとは思いもよらなかったが、夜長を楽しむことが出来た。 放映されていたのは、日本のNHKに当たるチャンネルだった。 移動の疲れからか、いつの間にか寝ていた。 この日も早起きをして、ユーロシティ(EC)という特急電車に乗り、ドイツのドレスデンへ向かう。昨日買っておいた切符で、プラハホレショヴィツェ駅から8時40分のハンブルク行きに乗った。プラハからドレスデンまでは2時間半ほど、往復6000円ほどで行ける。 プラハにはいくつか鉄道のターミナル駅があり、観光客が主に使うのは、プラハ本駅、プラハホレショヴィツェ駅、プラハマサリク駅の3つだ。プラハ本駅はいろいろな国を行き来する一番大きな駅で、プラハマサリク駅は国内線の駅、プラハホレショヴィツェ駅は、旧東ドイツやハンガリーなど、旧共産圏の国へ行く電車が多い。 日曜の朝なので、駅にはほとんど人がいなかった。駅の売店でコーヒーを飲みながら、電車を待つ。 プラハホレショヴィツェ駅は、地下鉄の駅を少し大きくしただけの、殺風景なものだった。ガイドブックによると、プラハ本駅は、アールヌーヴォー様式の芸術的な建物らしいので、あまりの違いにすこしさびしくなった。 ![]() 電車は6人がけの個室(コンパートメント)になっていた。私はコンパートメントを1人で占領し、ゆったりと電車の旅を楽しめた。 ドレスデンに行くことを決めたのは、ドレスデンという街に行きたかったのではなく、単に電車の旅をしたかったのと、どこでもいいからドイツに足を踏み入れてみたかったというだけだった。 思ったとおり、電車の旅は快適で、素晴らしいものだった。車窓から見える景色は、まるで日本の田舎のようだった。紅葉した山々に、豊かな水をたたえた川。 煙突のついた煉瓦づくりの家は、まるで子供の頃に読んだ絵本の挿し絵そのものだった。 チェコの田舎に住む人の日常が、ほんの少しだが伺えたような気がした。 ![]() ![]() 車窓の景色に見とれていたので、あっという間に時間が過ぎていった。あと30分ほどでドレスデンに着くというところで、窓に水滴がつき始めた。 あ、雨だ! 傘を忘れてきちゃったのに・・。 しかし、ドレスデンに着くと、ちょうど雨がやんだ。さすが、私は晴れ女だ!と勝手に1人盛り上がった。![]() ドレスデン駅 ドレスデン城にいくまえに、新市街のモダンアートのカフェにいこうと、7番のトラムにのった。 駅から旧市街を抜け、エルベ川を渡ると、新市街に入る。 最寄りの停留所で降りて、地図を見ながらカフェを目指したが、持ってきた地図が見にくくて、道に迷い、辿り着けず・・。帰りの電車の時間もあるので、深追いはせずに断念した。 この迷走により、2時間もロスしてしまった。 トラムを乗り間違えるなどの災難はつづいたが、なんとかドレスデン城に着いた。 ![]() 余りに疲れたので、近くのカフェにはいったら、なんとイタリアンのカフェだった・・。 当然ドイツ料理は食べられず、ビールだけ楽しむ。 ![]() カプレーゼは日本でも普通に食べられるが、このトマトが甘くておいしかったのと、初めて話したドイツ語が通じたので、よしとした。 お腹が満たされたところで、ドレスデン城とその周りの建物を見て回った。 ![]() ゼンパーオーバー(オペラ劇場) ![]() 大聖堂 ドレスデンは、第二次世界大戦の空襲により、ほぼ全地域が焼け野原となってしまった、暗い歴史を持つ街だ。上のこれらの建物は、戦後に復元されたものだという。壁が黒ずんでいるのは、空襲で焼け残った部分をそのまま使用しているからなのだそうだ。 この日は空から重い雲が垂れ込めていたので、よりいっそう黒ずんで見えた。 ドレスデンで一番見たかったもの。それは、このマイセン磁器で出来た壁画だ。 ![]() 王の行進 この壁画は、ドレスデンの文化財の中で唯一空襲を免れ、作られた当時の姿を残しているそうだ。 横に長い王の行進を3往復くらいしてじっくりとみた後、裏手にあるブリュールのテラスへ。テラスからエルベ川をのぞむ。 ![]() ブリュールのテラス ![]() 晴れていれば、もっときれいなんだろうなぁと思った。 ![]() フラウエン教会 テラスを降りて、フラウエン教会の写真を撮っていると、また雨が降り出してきた。慌てて、近くのお店に入ると、そこはクリスマスの飾りを売るお店だった。 ちょっと覗くくらいにしておくつもりが、ハンドメイドの繊細でかわいい飾りの数々につい財布の紐がゆるんだ。 あの人にも、この人にも・・と気がつけば10000円近くも散財していた。恐ろしい・・。 もうこれからは、散財はしないと、心に固く決めた。 買い物が終わるころ、ちょうど雨も上がってきた。 電車の時間も迫っていたので、トラムに乗ってドレスデン駅へ戻った。 ドレスデン駅の周りには、大きなデバートや1ユーロショップ(日本の100円ショップ)などいろいろなお店があったが、この日は日曜だったため、全てのお店が閉まっていた。 チェコでは、日曜でも普通にお店が開いているが、ドイツや以前訪れたフランスでは、日曜は誰もが休みを取るようだ。 駅の売店くらいしかお店は開いていなかったので、電車を待つ間売店を覗きながら過ごした。 ソーセージが食べたかったので、ファーストフード店のようなお店でビールとともにいただく。 ![]() ソーセージ2本とパンで1ユーロ(130円くらい。)だったので、大して期待していなかったのだが、これが本当に美味しかった。ビールは言わずもがな。 去り際になってやっと、ドイツの食文化に触れることが出来た。 プラハに戻ると、路面が濡れていた。プラハでも、雨が降ったようだ。 駅のスーパーに寄り、ビールを買う。 ホテルの部屋で昨日買ったチーズと魚の酢漬けで晩酌をしながら、今日の旅を振り返る。 日曜でほとんどお店は閉まっているは、モダンアートのカフェに行くのに死ぬほど迷った挙句にたどり着けないわ、この時間のロスのおかげでドレスデン城の中を見学する時間はなくなるわ、間違えてイタリアンカフェに入ってしまうわ、もうグダグダだったけど、車窓から見た景色は素晴らしかったし、王の行進の壁画を見られたし、ドイツ語が通じたし、飲んだり食べたりしたものは全部美味しかったから、まぁいっか。 と、いつものプラス思考で総括しながら床に就いた。
カレル橋の入口は、かなり混雑していた。どうやら、橋の左半分が工事中で、橋の幅が半分になっていたことが原因のようだ。
![]() カレル橋の両側には、聖人の銅像が並んでいるが、私は右半分の銅像しか見ることが出来なかった。 せっかく来たのに、半分しか見られないのか・・とがっかりしたが、この、一番人気の銅像にはちゃんと会えた。 ![]() この聖ヤン・ネポムツキーの銅像が大人気なのは、彼の足元の色が変わっているレリーフにある。このレリーフに触ると、幸運が訪れるという言い伝えがあるのだ。 ![]() ![]() 私も幸運に預かるべく、しっかりタッチしてきた。 カレル橋は、約600年ほど前に作られた橋であり、今も変わらぬ姿で市街地と城のある丘を繋いでいる。当時のプラハの建築技術がいかに優れていたかが伺える。橋の上にはマリオネットを操るパフォーマーやプラハの街を描いた絵などを売る人で賑わっていると聞いていたが、この日は橋が工事中だったせいか、あまりみなかった。 橋の上は観光客でごった返していた。そのほとんどは近隣のドイツなどから来た人らしく、ドイツ語がたくさん飛び交っていた。私のような東洋人は皆無だった。この日は土曜日だったので、日本でいえば東京から箱根に来る感覚で、近隣から遊びに来ている人が多いようだった。 ![]() ![]() ![]() カレル橋から見たプラハ城 橋を渡り終えると、また狭い小道を進む。途中に、プラハ名物のお菓子のお店があった。 ![]() ![]() とりあえず、買ってみる。 シナモン味にしたが、可愛らしい見た目と違い、美味しくなかった。味が薄い菓子パンのようだった。味の薄い菓子パンを食べながら、今度は坂を登る。石畳のでこぼこ道は、ヒールのあるブーツを履いた足には酷であったが、同じでこぼこ道を、はるか昔に王様も通ったのだと思うと、感慨深かかった。 ![]() ![]() ![]() ![]() 観光客の行列について行くと、やっとプラハ城の入り口に着いた。入り口の向かいには、かわいいカフェがある。壁の質感や、ピンクの花々が調和していて、おしゃれだ。 ![]() 下を見下ろすと、眼下にはプラハの街のパノラマが広がる。赤い屋根と緑や黄色の木々のコントラストが美しい。プラハの建物は、壁は様々な色で塗られている が、屋根はほぼ赤で統一されている。おそらく、ここからの眺めを考えてのことだと思われるが、街を歩きながら横からみた場合と、上から眺めた印象がまるで違うことが、とても新鮮だった。 しばし街を眺めたり、写真を撮ったりした。 衛兵が立つ門をくぐり、チケット売場でチケット買い、城の中の解説をしてくれるオーディオガイドを借りた。オーディオガイドは日本語版がなく、英語版だったのでほとんど用をなさないし、約2000円ほどのレンタル料は高いと思ったが、このオーディオガイドを持っていると、城の敷地内にある聖ヴィート教会に並ばずに入れるため、思い切って借りた。 オーディオガイドを持たない人の入口では、推定1~2時間は待たなければならないと思われるほどの長蛇の列となっていたからだ。 オーディオガイドを借りる場所も、満員電車のように混み合っていた。さらに、割り込みをされるなど、嫌な思いをしたため、さっきまでの楽しい気分が急降下した。 割り込みをしてきた英国人女性にむくれながら、電話の子機のようなオーディオガイドを持って、聖ヴィート教会に入った。 ![]() ![]() 教会の中は、戦場のようなオーディオガイドの受付とは打って変わって、静謐であった。歴代の王様達の眠りを妨げないよう、私も足音を立てないように中を回った。 ![]() ![]() ![]() アルフォンス・ミュシャのステンドグラス ![]() 光が強すぎて上手く取れなかったけど、私が一番好きなステンドグラス この美しいステンドグラスを見た瞬間に、さっきまでの嫌な気分はすっかり吹っ飛んでしまった。あまりにも美しかったので、教会の中のベンチに座り、しばし見つめていた。 帰り際に再度教会に立ち寄り、その色彩を目に焼き付けた。 城の外へ出て、城の裏側を散歩した。ここは人が少ないうえに、木や草花が自然な姿を見せていた。 ![]() ![]() ![]() ![]() たっぷりと景色を堪能し、私はプラハ城を後にした。 気がつけば、時計は午後4時を回っていた。 そういえば、美味しくない菓子パンを食べて以来、何も口にしていなかった。 美しいものをたくさん見て、充実感でいっぱいだったが、足は疲れて棒のようだった。あまり遠くまで歩けなかったので、カレル橋の手前で手近なお店に入った。 お店の中は少し暗めの照明で、アンティークなインテリアで統一された重厚な空間だった。柱や壁に、この建物が刻んできた歴史を感じる。 席に座ると、40代後半とみられる素敵なウエイターさんがメニューを持ってきてくれた。 私は、ピルスナービールとチェコのオーソドックスな料理である、豚のカツレツを頼んだ。 のどが渇いていたため、豚のカツレツが来る前に500mlのピルスナービールのうちの半分を飲み干してしまった。 ![]() 豚のカツレツは、塩コショウだけのシンプルな味付けながら、まったく物足りなさを感じない。 さくさくの衣がビールにぴったりだ。さらにチェコの地元のワインである赤のモラヴィアワインを飲んだ。こちらも、果実味の強さが、油で揚げた豚肉に合う。 ウエイターさんも、隣のテーブルに座っていたフランス人の大家族も、温かくて居心地がよった。 大家族の3歳くらいの男の子が、私の隣に遊びに来てくれたので、1人の食事もさびしくなかった。 ビール1杯とワイン1杯、そして豚のカツレツで、しめて1300円ほどだった。チェコは、ヨーロッパであるにもかかわらず、本当に物価が安い。 お店を後にし、おみやげ物屋さんで買い物をしながら、地下鉄の駅へ向かった。 また、コビリシーに戻ってきた。昨日とは違い、暗くてももう怖くはなかった。私は、駅の中にあるスーパーで水やビール、魚の酢漬け、チーズなどを買い、慣れた足取りでホテルに戻った。 ホテルで再びビールとチーズ、魚の酢漬けで晩酌をした。旅の間中は、本当にビール三昧だった。 ビールもチーズも魚の酢漬けも、本当に美味しかった。スーパーで買ったものがこんなに美味しいなんて…! 私にとってチェコは、美味しいものであふれていた。 晩酌を終えると、よく分からない英語のTV番組を見ながら、眠りについた。
飛行機でよく寝たせいか、目覚めも早かった。
7時な起きて準備し、8時に食堂へ。 ![]() コーヒーはインスタント、ジュースも薄くてあまりおいしくなかったが、パンとハム、チーズがとてもおいしかった! お腹が満たされたところで、地下鉄にのり、共和国広場に向かう。ホテルから駅までは、歩いて向かった。昨夜は暗くてよくわからなかったが、この辺りはかわいい民家やお店がいっぱいあった。 ![]() ![]() ![]() ![]() 東京で言えば、江戸川区のようなところだろうか。プラハで暮らすごく普通の人が住む場所である。 マンションから一戸建て、学校もあった。今日は土曜日なので、人はほとんどいなかった。 私の滞在するコビリシー(Kobylisy)というところから、プラハの中心である共和国広場までは、地下鉄で10~15分ほどかかる。しかし、ホテルの値段は、中心地に比べると半額くらいですむため、滞在時間がたっぷりある今回のような場合は、多少中心から離れていても、コビリシーに滞在する方が良いように思った。 共和国広場から旧市街広場を経由して、プラハ城まで歩いて向かう。 ![]() 火薬塔 火薬塔からスタートし、石畳の小道を進んだ。 ![]() ![]() ![]() 小道の両脇にはお土産屋さんやカフェが並び賑やかだった。このプラハ城へ向かう小道は、昔、王様が城へ向かうときに通った道であるため「王の道」と呼ばれているが、「王の道」という割にはとても狭く感じた。 ![]() 旧市街広場に着くと、今まで写真でしか見てなかった風景が広がる。 ![]() ヤン・フス像 (堕落したローマ教会を批判したため、火刑にされたそうです…。) ![]() ティーン教会 (よく見ると、左右の塔の太さが微妙に違うらしい。プラハの中で私が一番好きな建物。) ![]() 旧市庁舎 (いろいろな時代に建て増しをしたため、一つの建物でありながら、さまざまな様式を持つ不思議な構造となっているらしい。) チェコ人の誇りである宗教家のヤン・フスの像、ティーン教会、旧市庁舎・・。やはり本物を目の当たりにした時の感動はひとしおだ。遠く日本からこの風景を見るために、やっとここまで辿り着けた。 広場をぐるぐる回りながら、写真をとったり、しばらく建物を眺めたりした。 ![]() そのうち、段々体が冷えてきたので、旧市庁舎の横にある天文時計の目の前にあるカフェで一休みする事にした。 ![]() 天文時計 温かいコーヒーをのみながら、時計が11時を告げるのを待つ。天文時計の仕掛けは・・前評判どおり、大したことはなかった。カフェを後にし、再びプラハ城を目指す。城にいくには、ヴルタヴァ川を渡らなくてはならない。ヴルタヴァ川とは、別名モルダウ川と呼ばれている。あのスメタナの「モルダウの流れ」のモルダウ川である。 そして、その川に架かる橋が、世界遺産であるカレル橋である。 つづく アエロフロートの旅は、それほど不快なものではなかった。オレンジ色のシートは割りとふかふかで、ヘッドレストは頭を固定できるので、首を傷めることなく寝ることができた。 機内食は、和食ながらなかなかの味であるし、クルーも、他の航空会社と比較してサービスが悪いと感じることはなかった。アエロフロートはロシアの航空会社である。ネットなどの前評判では、機内食が家畜のエサに等しいとか、シートが固いとか、クルーの対応が悪いとか、散々な書かれ方をしていたため、かなりの覚悟で乗ったのだ。あえて難を言えば、アルコールが有料というところであろうか。だが、他社と比較して5万円も安価であれば、やはり次回もアエロフロートを選んでしまうだろう。 一人旅の機内は、思いのほか時間をもてあまし、私は、寝る、新聞を読む、ゲームをするというサイクルを10時間繰り返した。 日本とチェコの間には、直行便がないため、チェコに行くには必ずどこかの国で乗換えをしなければならない。今回はロシアのモスクワで乗り換えることになった。モスクワに着き、チェコのプラハへ向かう飛行機の待ち時間にビールを飲んだ。飛行機の中では、アルコールを口にしてなかったので、この瞬間が待ち遠しかった。モスクワのビールらしき「BAJIИKA」というビールを飲んだ。 事前にロシアに行ったことのある人から聞いたとおり、味が薄くて余り美味しくなかった。生ビールでこの味では、缶に入っているものはとても飲めたものではないだろうと思った。ユーロで支払うと、ドルでおつりが来た。近くの国の通貨よりも、海を越えた国の通貨の方がよく使われていることが不思議だった。 飛行機の出発が30分遅れたので、プラハに着いたのも予定より30分遅れた。荷物を受け取り、空港の外に出られたのは21時前だったが、乗ろうと思っていた高速バスの最終便は10分前に出てしまったばかりだった。 なんてついてないんだろう…。 タクシーの客引きから逃れるために、仕方なくローカルの市バスで地下鉄の駅まで向かうことにした。 チェコは欧州の中でも治安のいい国であると聞いていたが、地下鉄はスリが多く、一番気をつけなければならないポイントであると紹介されていたので、夜遅い時間に大きなスーツケースを持って乗りたくはなかった。びくびくしながら地下鉄に乗ったが、同じように空港から市街地へ向かう旅行者ががたくさんいたせいか、全く怖い思いはしなかった。 私が泊まるホテルは、地下鉄の駅から徒歩圏内であるものの、終点に近い街外れにあるため、明かりも少なく真っ暗だった。一応地図は持っていたが、ランドマークがほとんどなく、迷うことは必死だった。大きな荷物を抱えて暗闇をさまようことはごめんだと思い、わずかな距離であるが、ホテルの目の前まで行けるトラム(路面電車)に乗ることにした。 トラムは、行き先と番号を確かめてから乗らなくてはならないが、異国の暗闇の中で英語とは違う見慣れない文字を確認することは困難だった。 車両が来るごとに駆け寄ったり戻ったりしていると、一度トラムに乗った2人のアジア系の男の子が降りてきて、英語で話しかけてくれた。 私は目的地の停留所を指差しながら、ここに行こうとしていると説明すると、時刻表を調べて、乗るトラムを教えてくれた。 2人はベトナム人で留学生だという。私は社会人で、日本から旅行できたと話した。 程なくしてトラムが来た。私はお礼を言うと、トラムに乗り込んだ。2人は私がちゃんとトラムに乗れるまで見送ってくれた。私は窓の外に向かって、2人の姿が見えなくなるまで手を振った。 この国で、初めて触れた人の温かさだった。 ホテルに着くと、ドアが開かず、真っ暗だった。ネットの口コミ通り、住宅街の中の静かすぎて怖い場所にあるため、また心細くなった。 ドアの横の夜間のインターホンでフロントに連絡し、しばし待つ。 フロントの学生バイトらしき男の子から鍵を受け取り、部屋に入ったのは23時前だった。日本を出てから19時間が経過していた。 部屋に入り、一息つくと、着替えて眠りについた。
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